外部記憶装置

増田貴久くんについていろいろ考えたり思ったり忘れたくなかったりすることを書いておくとこです。

ストレンジ・フルーツ 解釈その2

なんでこの演劇はこんなに考えてしまうんだろうねえ。

前回感想やら解釈やらと被ってますが、自分の中でまとまってきたので。

千葉が気の毒で、かわいそうで。彼は自分の夢から、彼女から、先生から逃げられなく、脆くて弱い。その様が見ていて叫び出しそうになるぐらいだった。

増田くんの演技がより「入って」いて、たまらなかったデス。まっすー演技うまいよう ( iдi ) 

俺はアーティストだ! と叫ぶ、その虚勢。

犬飼に、悪い人になればいいと言うカナ。それは俺のことだろうと言う千葉。千葉がいい人のままでは、脱落してしまうと心配するカナは、最後まで残ってと懇願する。悪い人になれということだ。

アキオが美晴を抱いて出て行く、このシーンで千葉が2人から受ける精神的ダメージは千葉はカナを連れて出て行けない事に起因してる。

彼女の希望をかなえたくて彼は自分を捨てて悪魔に魂を売る。クロスロードは自虐。バカにしたような言い草で自分を追い込むためのベタなお話を友達の怒りを呼び出すように語る。

カナの無邪気な残酷さが最初から最後まで千葉を縛っていて辛い。

自分から罠に踏み出す「スタート」
終焉の「カット」「OK」

久良間の言うように、ストレンジフルーツの制作は「最高」と感じただろうか?
最高と感じるような男なら、全員の作品とコンセプトが入った映像を作るだろうか?

千葉には何が残ったんだろう。