読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

外部記憶装置

増田貴久くんについていろいろ考えたり思ったり忘れたくなかったりすることを書いておくとこです。

フレンド 11月8日ソワレ

フレンド —今夜此処での一と殷盛り—

現在の時刻、大千秋楽がはじまって15分が過ぎたところ。

 

昨日に大阪に行ってこの1公演だけ見て帰ってきました。また、手許に「悲劇喜劇」12月号もあります。というわけでまたしてもだらだらと備忘録を…。

 

大阪の会場はフツーの劇場なのでグローブ座のように死角が無いんですね。だから席種が1つなんだなぁ…。それからやっぱグローブ座ってどこからでも近いんだな…。

19日に見て以来の酒場「フレンド」にまた会えて嬉しい、という気持ちがわき上がったのが不思議でした。フレンドに集う人達にまた会えた、嬉しい、って。

 

冒頭。酔った中也とそれを抱えて歩く喜弘。下手から見ている私からも姿が大変よく見える。グローブ座だとこの場面は場合によってはあまりよく見えないから…客席のすぐ横が舞台ソデで狭く暗く、ただそこがまるで雑踏から出てきた酔っぱらいめいていて良いのだけど、見えやすいかどうかでいったらドラマシティは見やすい。2人はよりいっそう、役に入っているように、こなれているように見えた。

2人がフレンドから出て行く時の秋子と喜さんの小さなやりとりは戯曲には書かれていない。フレンドの外を歩く時の喜さんと中さんの会話も戯曲にはない。ここがアドリブなんだ?って思ったのは10/18に見た時にセリフがまったくなかったから。毎回少しずつ違うなと思ってたけどそもそもアドリブだったんだ。11月8日ソワレでは中也が「そこおさえるな…吐く!」と言うので客席に笑い声。

小林の朗読「頑是ない歌」。ここで、何故この詩が朗読されるのか今現在もぜんぜん解ってない私。書かれたのは昭和10年。収録は「在りし日の歌」。小林に託され出版された2冊目の詩集。なぜここで使われるのか解っていないけれど、ここで詩が読まれることによって中也の世界の紹介になっている、気がする。小林が読むというのはこの後出来事への伏線のような役割…?…解りません。

中也がよりいっそうかわいらしく感じられ。銀座のカフェの女給となった2人を連れてフレンドにはいってくる時の満面の笑み。子どものようだった。

…と、書いているとまだ無駄に長くなるので…ポイントを。

ゴウちゃん裸で出てきてからのくだりでセリフ噛んでて中さんに「噛んでんじゃねえよ!」

台本に"(叫ぶように)"とある『我が祈り!小林秀雄に!』叫ぶようにどころか、叫んでいた。それはそれは大声で。最後まで。

定吉「若いけど偉ぇ先生なんだろ?」の後の喜さんの晴れやかで爽やかな微笑み

そして変らず透明で美しい「しかし、噫!やがてお恵みが下ります時には!」という『歌』

表紙の絵「デザインは誰に決まりましたか?」「喜弘だ」のくだり。喜弘「ダメですよ!」のぴしゃりとした、声を少し荒げての言い方。「そんなのちっとも嬉しくない」から一転してやさしくなだめるように「誰にお願いすることになったんですか?」 一瞬、憤り、すぐ納める。辛い。

「殴れといっちょろうが!」の後。中也は立っていた場所から少し後ろに下がった。左足1歩、右足半歩ほど。喜弘が前に出る。喜さんが前に出たから中也が下がったのか、喜さんから逃げるように避けるように少し下がる、この演技が意外で、そして喜弘はその逃げる中也の左手首を掴み拒むその手を力でもって胸の前に持ってくる。逃がさない。揺るがない。強い。だからこそ中也は、怒鳴り、暴れ、殴れといい。

偽善者だ、冷血漢だ、殴れ、叫べ、という劇中の中也と

それでは沈黙家があたたかい気質を持っている場合にも猶、一種の冷たさを感じさせるものではないでしょうか。此の場合あたたかい気質であればあるだけ、その一種の冷たさを感ずる相手を、沈黙家の方では意想外感ずることになるだけ相手は一層辛くなると云えます。(安原喜弘「中原中也の手紙」昭和十年 手紙九十 四月二十九日(封書))

と安原に送った中也の手紙を思い出し、史実ではこのようなぶつかりあいはなかったかわりに、劇中でぶつからせた、横内さんの暖かさのような気がして。 

空襲後の客席での演技どこでどうするのかと思ったけど、中央の縦の通路でしたか?(よく見えない)。秋子!と駆け込んで来る喜さん、倒れる、その後に出て来る「幻想」の中也の声は、上から響いた。マイクを通している声。会場の広さと、彼岸の世界の演出かと。その後、喜さんの声もマイク通してあった…かも。こちらは自信がない。

火の粉は前の方の席にしか降らせることができないのはやはり会場の大きさですよね。

中也の「汚れっちまった悲しみに」の存在感たるやで、彼が去ってしまうのをステージ上で見送らねばならない喜さんが切なく、悲しくて。奥行きのある会場で、長い縦の通路をずっと歩いて行く中也。ここは大阪会場が生かされていたかなと。

秋子と再会し、「きこえるさ…ちゃんときこえる…」。この後、喜さん焦燥しきって、息が荒くて、動けない喜さんを先に秋ちゃんが抱きしめ、それに呼応して喜さんが自分の中に秋子を全部納めるようにさらに深く抱きしめ。

いつものように、終演後、秋子が出した荷物を、座ったまま、うつむいた形で、手でぎゅーっと押し出して自分達の立つスペースを作る、喜さんであったひと。

喜さんが8割方残ってるような表情で舞台をあとにするひと。

中也にいたっては10割中也のまま終っている気がした。

 

だらだら書いているうちに無事、40公演終ったとのこと。

お疲れさまでした。増田君はじめ、作、出演、関係者さま、素敵な舞台を、本当にありがとうございました。