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外部記憶装置

増田貴久くんについていろいろ考えたり思ったり忘れたくなかったりすることを書いておくとこです。

フレンド 10月18日マチネその3

 

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なんだかんだ長くなりすぎたので割愛してその3を書きマス。なんでこんな細かく書いてしまったのだ>前2つ   しかも19日を見てしまってから18日を書く今更感半端ない…。

フレンドに大岡と染谷がやってくる。この時の増田君のセリフまわしがとても好き。「英語が教えられないんだ」「文学を教えようとした。僕の好きな詩や小説を。だがしかしそこにも横やりが入る。僕の好きなフランス象徴派やシェイクスピアは敵国の思想だと言われる。」「シェイクスピアにも愛国の言葉はあるよ?だがもっとジェントルでエレガントだ。」喜さんが文学を愛しているんだなということが伝わる長台詞。ひとつひとつの言葉が上っ面ではなくほんとに「喜さん」から出ている…ような錯覚。語りながらだんだん熱くなる。

ところでフレンドに蓄音機が登場したのはここから?結局きちんと確認出来なかったわたし。ポスターが女性のものから軍隊の募集広告に変ったのはいつ? 三郎さんが召集されたとき?

秋子が同人誌に賛成してくれない。秋子に対して言うその後のセリフが、この大岡たち相手の時のセリフ以上に良い。椅子に座って、辛そうに吐き出すように。ていちゃんたちを送り出した後だけに辛さが増して。戦争じゃなく他に方法はあるはずだ。この世に恋をしていればと。声を震わせ。絞り出すように。

「この世に深く恋しているから、僕は死にたくない 」

教え子やみんなにそれ(ザルツブルクの小枝、この世に恋をすること)を伝えたい、と、蓄音機でかけるのが、ベートーヴェン交響曲第九第四楽章冒頭のバリトン独唱部分。

爆撃。ぼろぼろの服を着て煤だらけの顔の喜さんを駆け込んで来るところから倒れ、向こうから中也がやってきて、中也が助け起こし、「フレンドへ行こう」とステージへあがっていくこの一連が全部見える席だった。それまでところどころ断片で見ていたものが、引きの絵で全部見えたという感じ。櫂歌のシーンと同様、視野の中に2人を納めてその芝居を見るとまた違う感触があった。この2人の関係性みたいなものが見えるような。中也へ対する喜弘の尊敬と思慕と、2人が強くお互いを必要としている結びつき。

中也を茫然と見上げ、言われるがままフレンドを見て、ステージにあがる。あがって、嬉しそうにご近所のみんなの輪に入り、次に小林さんと笑いあう。中也に「ききたいです!」と詩を懇願する。

通路の中央付近で倒れた場所は、この後赤い緞帳の前で「中さん!」と叫んだ後に倒れるその場所と同じ場所なのだろう。

通路中央で倒れた後、中也がやってきて、フレンドで酌み交わし、中さんが去る、音楽は歓喜の歌。すべて喜さんの脳内の出来事。あるいは、彼岸。喜さんの脳内で響き渡る第九。

赤い緞帳、中也に教えを、助けを請うように叫ぶ、呼ぶ。「生きたいんです!」中也は、のたうちまわって生きろ!と言う。

去る中さん。この世に残る喜さん。

赤い火の粉が席にたくさん落ちてきて(なにしろ送風機でこの席の真上3階部分から落とされる)膝の上や鞄の中に入ったそれを払うのも何なので、そのまま持ち帰った。

実は最初この芝居を見た時、雪かと思った。赤い雪。雪の詩だから。雪の降る心象風景なのかと。雪の降る心象風景かつ、火の粉なのかもしれないけれど。

 

カーテンコールの「喜さん」の鋭い、鋭いというのは違うのか、深い光、強い目は忘れられない。喜さんだった。ずっと。芯が強くて、凛々しくて、辛い出来事も全部飲み込んで皆のことを背負って立つ、これから生きて行く喜さんのようだったよ増田君。