外部記憶装置

増田貴久くんについていろいろ考えたり思ったり忘れたくなかったりすることを書いておくとこです。

フレンド 9月30日

もしかしてこの舞台で一番凄いのはこれを企画したプロデューサーではないのか。

私は彼を開放したいと思ったのと同時期から、舞台をやってほしい、絶対合うから、と確信していた。

彼がここまで来たぞと思うと震える。

この日は2階すこし下手から

29日は1階のちょっと上手だったのでそれとは違うところが見えた。面白かった。私の先入観が消えたからだとは思うし、もしかしたら29日より彼がよりいっそう芝居に入ったからかもしれないし、単に見る角度が違うからかもしれない、理由は解らないけれど、増田くんはよりいっそう「喜さん」だった。増田君は喜さんに隠れてしまっていた。最期まで。カーテンコールも含めて最期まで。

詩人は自分の詩を詠うけれど喜さんは中さんの詩を宝物のように歌うんだね。

中さんに話しかけるときだけ喜さんは少しかわいらしくいっそう優しく詩人を大事に大切に扱う。喜さんは中さんの2つ下だからだろうか?いや大岡と喜さんは同級なのだし年が下というよりも詩人を壊したくないからだろうか。

増田くんは雑誌でラジオで繰り返し繰り返し芝居を観に来て欲しいといっていた。コンサートは違うんだ、と。自分のハードルを上げる発言だなと思っていたけれど。

この作品に自信があったんだ。

マナーの悪い人に壊されたくはなかったし見ている人にきちんと届けたかった。だから牽制した。何度も何度も。場をつくるためそれが座長しかできない仕事だったから…?

上手い役者達にかこまれながらも、まぶしいひかりをはなつ舞台役者としての彼がそこに居る。そういう印象だった。と同時に、これは彼の舞台ではあるけれど、彼も芝居のピースの1つだった。彼だけを見ていられる舞台ではない。

 

彼は舞台役者だ。

 

29日の感想にもかいたけれどとにかくこの舞台の彼はとてもハンサム。彼のことをカッコイイとかカワイイとかイケメンとか何度も何度も言ってきたけれど、ハンサムと思うのは初めてのことだ。それは、増田くんが、ではなく、安原さんがハンサムなんだ。

すっとした立ち居振る舞い。仲間と文学について語る静かで熱い気持ち。帝大のまだ幼さの残る若い学生が、やがて社会に出て、家族を持つために夢を夢のまま思い出にし、大人の男になる。育ちがよく気持ちがまっすぐで秀才の安原喜弘は、ハンサムだった。

 

桁違いに良いよ。

作品の出来も、彼自身も。

半端な予想で来ると面食らう。覚悟して観に行かなくてはいけない。まだのひとも何度目かのひとも。 

サーカス

 

幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして 今夜此処での一と殷盛り 今夜此処での一と殷盛り

 

サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

 圧巻。中也と喜さんの呼応。

呼吸があい、声があい、目があい、2人の心が一緒になって舞台のテンションが一気にあがる。愛が切なさが生が、彼らのなかま達の気持ちが胸いっぱいに広がって一緒に ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん と叫びたくなる。

楽しく哀しい夢。

語れ 酒を吞め と 詩人はいう 喜さんの、おそらく胸のなかで。

 

 

カーテンコール、中さんと喜さんは、肩を組んでいた。